Paltissimo!!
第二回定期演奏会
INTRODUCTION
Living Room Music
この曲は、使用する楽器の指定が比較的緩いため、
演奏をする団体によって使う楽器が違うことがほとんどです。
「リビングルーム」のイメージは、世間ではある程度共有されているものだと思いますが、
実際には各家庭によって家具の配置や使い方などは様々です。
それと同じように、各団体によってこの曲のイメージや雰囲気はそれぞれ変わって聞こえます。
私たちは私たちなりのリビングルームを作るべく、
家具を工夫して配置するかのように音楽を構築して演奏します。お楽しみに!
【S.Watahiki】
鼓 指揮者と8人の打楽器奏者のための
この作品は和のテイストがふんだんに盛り込まれており、
能や歌舞伎を想起させる掛け声や、祭囃子を思わせるようなリズム要素が多く用いられています。
『ポリリズム』においては、各奏者が共有するのはテンポのみで、
それぞれに異なる拍子とリズムを指定の回数繰り返します。
そのため、「他の奏者の演奏を聴きながら演奏する」ことは
至難の業になってしまうという水野氏から打楽器奏者へ
課題を投げかけているようにも感じる1曲です。
また、『破』の楽譜には、「はげしい気迫をもって」という指示から始まる
約 1 ページの解説と「<破>のイメージ」とされる絵のみしか書かれておらず、
それらから読み取って演奏するほかありません。
したがって、演奏は比較的自由で、即興的なものになります。
「はげしい気迫」はもちろん、僕らの解釈で絵を具現化した音楽にご期待ください。
【S.Watahiki】
Side by Side for Percussion and Orchestra
この曲は打楽器のソロ曲として有名ですが、もともとは曲名にある通り、
オーケストラとともに演奏する所謂コンチェルト形式で作曲された曲です。
しかし、この曲は一つの音楽感をそれぞれが共有をしないため
普通の協奏曲とは異なり互いに独立した音楽が並行して演奏されます。
それを言葉で表すならば「寄り添ってはいるが決して交わることがない」曲です。
全く違う音楽感で演奏される二つの旋律が束ねられることで壮大な一つのものが完成します。
それぞれは無秩序に進むものの、指揮の制御下にある、いわば「コントロールされたカオス」。
絶妙なバランスで組み立てられる音楽を是非生でお聞きください。
【D.Taniguchi】
4人の打楽器奏者のための四季
世界で評価される日本を代表する現代音楽家、武満徹による打楽器のための作品です。
1970 年の大阪万博にて展示された彫刻作家フランソワ・バッシェ氏制作の
「彫刻楽器」を含む打楽器群を用いて演奏するために作られました。
この作品の最大の特徴は、五線譜ではなく図形楽譜で表現されていることです。
五線譜と違い線と+や-などの記号や図形のみで楽譜が書かれていて「他の演奏者を模倣すること」、
「即興で気象や占星術に関する事柄を加えること」といった面白い指示もあり、
演奏家の解釈により2度とは同じものにならない、即興性が高い作品です。
曲が進むにしたがって様々な音響を作り出され、それに相互作用が加わることで、
作り出される音響は時々刻々と移り変わっていきます。
この音色の移り変わりを武満は「四季」という言葉で表現している、と捉えました。
私たちの表現する武満ワールドをどうぞご期待ください。
【S.Watahiki】
交響曲第1番 2楽章
「アレクサンドル・チェレプニン」と聞いてピンとくる方は、
かなりのクラシック音楽通ではないでしょうか。
ゴジラのテーマ曲で有名な伊福部昭の師に当たる作曲家ですが、
かく言う私もこの曲に取り組むまでは知りませんでした。
この曲に取り組むきっかけとなったのは、
昨年の演奏会で取り上げたヴァレーズ作イオニザシオンでした。
イオニザシオンは「打楽器群のために書かれた独立した最古の作品の一つ」として
紹介されることが多いのですが、そこで、
「イオニザシオンより古い打楽器アンサンブル曲はないのか?」という疑問がわきます。調べると、
「独立した楽曲」ではなく、「曲の一部」として書かれた、より古い時代の作品があるとわかりました。
ショスタコーヴィチのオペラ「鼻」の間奏曲と、チェレプニンの交響曲第一番の第2楽章です。
「鼻」は1927~1928年の作曲とされ、チェレプニンの交響曲は1927年の作曲です。
両者ともロシア出身、作曲年もほぼ同じ、また編成もよく似ていることから、
今年の演奏会としていずれに取り組むか迷いましたが、より古い曲である本作としました。
曲の特徴や構成については当日の冊子でご説明しますが、
この曲で用いられる工夫の数々は、
作曲者が「打楽器はメロディーを奏でることができる」と認識していなければ
ありえない音楽的取り扱いであると思われます。
打楽器とそれによる「歌」をこよなく愛する当団としては、
作曲者への親近感を感じずにはいられないのです。
【D.Taniguchi】